No.08

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

雨宮製パンと七面鳥

 養源寺橋の一つ下流の浄国橋から堤方橋にかけての右(西)側の三角形の地帯に、かつて雨宮製パンという大きなパン屋さんがあった。現在の池上4丁目1番の辺りである。まだ食糧統制時代の昭和23~4年ごろだったか、母に連れられて、米穀通帳と印鑑を持って食パンの配給を受けに行ったことを懐かしく思い出す。なぜ、そんなことを覚えているのかというと、3斤が一塊になった食パンがお滑り台に乘って次々と滑り降りてきたからだ。
 池上通り(当時、改正道路)が通る堤方橋は橋の両側が呑川の堤で高くなっているが、滑り台はその傾斜を利用していたわけである。そして売り場というか、配給所は六郷用水側の道の所にあった。パンはホッカホカの状態で下りてきた。まだ3~4歳の幼児だったから、食パンが滑り台に乗ってくるのが面白かった。
 雨宮製パンでは昭和27~8年のころだったか、上無しパンというのを作り始めた。それまで食パンというと、頭の部分が円くなっていたのだが、それが現在と同じく平面になっていて、当時珍しくもあり好評だった。その他、そぼろパンなども人気だった。その頃は、現在、バイク店がある辺りに店舗(売り場)があった。小売りもする大規模なパン屋だったが、次第に縮小して昭和45年ごろには店を閉じてしまったのではないかと思う。
 この雨宮製パンでは、たしか戦後のマッカーサー時代から七面鳥を飼っていた。キジ目の大きな鳥で黒い羽毛に覆われていて、成長すると黒光りがしてくる。ただし、白っぽいのもいたように思う。七面鳥という和名は、興奮すると頸の周辺の色が変わることから付いたらしい。春先ごろ、可愛いらしい雛がやってきて、次第に大きく不気味な感じになっていく。それがお会式を過ぎる頃になると、ある日、突然、一羽もいなくなってしまう。
 中学3年生だった昭和34年頃、めぐみ坂を下りて浄国橋までやってくると、友人が「やっと、わかった」と言った。「お会式を過ぎると一羽もいなくなってしまうのは、食べられてしまうからなのだ。ずっと不思議な事と思っていた」と言うのである。
 アメリカの感謝祭(11月第4木曜日)とかクリスマス用として、米軍向けに飼われていたのであろう、と思われる。しかし、間もなく、飼育にともなう臭いなどの環境問題で止めてしまったらしい。池上ではもう飼えなくなってしまったわけだ。
 七面鳥の飼育が終わった頃と、雨宮製パンが消えた頃というのは、一つの時代の転換点だったのかもしれない。

(ようげん寺報 2014年6月15日発行 第9巻 第3号掲載)
正面のバイク店のあたりに店舗があった
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