No.14

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

力道山が住んでいたまち

 年に何回か、妙見橋や霊山橋、池上会館あたりで「力道山の墓って、何処にありますか」と訊ねられることがある。そういうときは「五重塔まで行けば、左側に矢印の表示がありますから、すぐわかりますよ」と答えることにしている。では、なぜ池上に力道山の墓があるのか。大光院力動日源居士と刻まれた墓碑へ至る墓地には、衆議院議長・自民党副総裁などをされた大野伴睦、かつて都議会のドンと呼ばれた醍醐安之助などの墓があり、そうした人士との交友も推測されるが、かつて力道山が池上に住んでいたということが最大の理由である。
 少なくとも力道山は昭和30年ごろまでは、本門寺の裏側の現在・南馬込6丁目31番の辺りに住んでいたと思う。そこはレッキとした池上特別出張所管内である。その家にはたしかジョンという名のシェパード犬が飼われていた。ちなみに、当時テレビで放映されていた名犬リンチンチン(シェパード犬)とか、名犬ラッシー(コリー犬)の影響もあって大きな屋敷の住人には大型犬が人気で、なぜかシェパードにはジョンという名が多かった。
 力道山そのものを見かけることはあまりなかったが、本門寺の節分の豆撒きのときは年男としてやってきた。もちろん、力道山が住んでいたこともあって、昭和30年ごろまでは池上小学校の前あたりではユセフ・トルコ、ミスター珍、遠藤幸吉、豊登などのプロレスラーが走っている姿がしばしば見られた。池上は力道山一門のまちだったのである。
 力道山が暴漢に刺されてそれが原因で39歳の若さで亡くなったのが昭和38年(1963)の暮のことである。昭和40年の頃と思われるが、池上本門寺の境内に小さなボクシングジムが開設された。今はその痕跡も残っていないが、御廟所と歴代墓所に挟まれた辺りだった思う。日本ウエルター級・日本ミドル級・東洋ミドル級のチャンピオンだった辰巳八郎のジムである。早朝、その前を走っていると、辰巳さんに呼び止められ、ボクシングをやらないかと誘われたことがある。しかし、数年で無人の廃墟になってしまった。
 池上には格闘技関係者への力道山の霊魂の磁力があるらしく、平成に入っても一時期、ハッスル時代の高田総統こと高田延彦氏が率いる高田道場(プロレス及び総合格闘技)が池上4-27あたりで活動していた。もちろん、現在でも池上とプロレスとの関係は深く、毎年、本門寺の節分の豆撒きにはプロレスラーや格闘家がやってくる。池上はプロレス・格闘技の聖地なのである。

(ようげん寺報 2015年6月15日発行 第10巻 第3号掲載)
プロレスラーや格闘家の参加で賑わう本門寺の豆撒き
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