No.19

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

池上自動車教習所があった頃

 池上駅前や新参道の周辺を歩いていると、池上自動車教習所と記されたマイクロバスをしばしば見かける。それに乗って行くと、呑川下流域「森ヶ崎」の大森南5-5-6の池上自動車教習所に着くはずだ。同教習所が「池上」の名を冠しているのは、元々、池上5丁目にあったからである。
 場所は現在、パークス池上が建っている池上5-16-1である。ここに昭和28年から平成9年6月までの44年間、教習所が設置されていた。
 昭和28年以前はこの場所には油工場があった。潤滑油・機械油・熱処理油などのオイルを製造していたらしい。
 南側の西蒲田2丁目(当時、蓮沼1丁目)に面する道路には猫柳の並木があり、初夏になるとコガネムシが群がった。北側の池上5-16と17の間は、現在は池上五丁目公園方向へ出る道路になっているが、ここは元々、ドブ川だった。それは5-18と19の間を通って女塚方面へ流れて行った。というよりも、本当は田畑を潤す灌漑用水路で、昭和30年ごろまではダボハゼやエビガ二、ドジョウが生息していた。
 蛍の幼虫が餌にする田螺もいた。現在の蓮沼中学の所にあった防火用水池カマコウが大水であふれると、クチボソやフナ・コイなども獲れた。諏江左官(現・一豊工業:池上5-19)と駐車場(5-18)との間には「市太郎橋」と呼ばれる結構、立派な石橋も架かっていた。
 昭和40年代の頃は「森高―蓮中」道路側の隅には民家も二軒あったが、モータリゼーションの発達で、現在シーアイマンション池上が建っている西蒲田2-4-4まで教習所の一部となった。ちなみに、そこは元々は畑だったが、やがて不法投棄のゴミ捨て場同然となり、夏になると、子どもの背丈ほどの夏草が生い茂り、やぶ蚊の天国だった。教習所が拡張されて周囲の人は喜んだくらいである。
 平成に入るころ、ドブ川は枯れた状態になって埋められて、やがて人が通れるようになった。その頃、教習所の2階には幼稚園だったか保育園だったかが併設され、結構、人気を集めたようである。お遊戯の歌が聞こえてくるので、近隣にはうるさがる人もいたようだが、運動会のときは自動車教習部門を休んで行なわれ、子ども達の歓声がはちきれた。
 池上自動車教習所跡のパークス池上平成11年3月から入居が開始されたが、当時は "小山"のように思えた。お会式の日には、本門寺の雑踏や団扇太鼓の響きが共鳴したが、東電周辺に高いビルが建設されると、その音が聴こえなくなった。

(ようげん寺報 2016年4月15日発行 第11巻 第2号掲載)
中央上、教習所跡に建つ大きなマンション(養源寺山上から)
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