No.22

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

富士山も眺望できた昔の池上図書館

 今の池上図書館は池上3-27-6にあるが、ここに移ってきたのは昭和63年で、それまでは大田区民会館にあった。現在、池上会館(本館)が建っている場所である。
 池上図書館がオープンしたのは、昭和31年6月2日。大田区立の図書館としては第1号だった。ちなみに、大田区民会館の開設は昭和29年の暮で、大森駅からは大田区民会館行きのバスも出ていた。
 図書館部分の入口は、現在の池上会館の自転車置き場を崖に沿って回り込む形で付けられていて、ほぼ3階の高さにあった。利用規則などを表示した案内板の周囲の崖には、古江戸湾が深く湾入していた縄文海進期の貝殻が露出していた。その前を長い行列ができていた。最初の頃は館内閲覧だけだったが、まだ、その時代は戦後の住宅事情の問題もあって、図書館で受験勉強したり、大学生が卒業論文を書いたりする場所として、区外からの利用者も結構多かったからである。
 間もなく週1冊(のち3冊)の館外貸出しも始まったが、昭和40年代に入る以前は義務教育を修了するまではその恩恵にはあずかれなかった。私の場合、高校生になってしばしば借りるようになったが、並んでいる列を通り越して、入口で「返本です。借本です」と言うと、30分ぐらい館内に入れるのである。本を借りることのほうが多かったが、閲覧室で勉強している友人に会うためでもあった。頼まれて菓子パンなどを届けたこともある。
 書庫の内側の壁は区民会館のホールと舞台を見下ろすようになっており、催し物の音がしばしば漏れてきた。昔はラジオ、テレビの公開放送や、各種コンサートなども行われた。共産党や社会党の党大会も開かれた。非公開の党大会や、コンサートの音も、実は聞えてきたのである。
 夏の夕方には時折、ヒグラシ蝉がカナカナと鳴き、西側の窓には富士山も見えた。池上小学校もまだ二階建ての木造校舎であり、高いビルもなかったので、ずっと遠くまで見渡せた。現在の池上図書館と比べると、ひじょうに良い環境にあった。
 ちなみに、現在の池上図書館の場所は、移転当時はNTT池上ビルだった。それ以前は電電公社の池上電報電話局だった。バス通りを挟んで、その東側の、現在、駐車場になっている所には明治31年11月16日開設の池上郵便受取所(明治39年電話業務を開始し池上郵便局と改称)があった。昭和46年、大田池上四郵便局と改称、平成13年、池上3-39-3に移転して旧称に復したが、それまであった建物は今から思うと文化財的面影が立ち込めていた。

(ようげん寺報 2016年10月15日発行 第11巻 第5号掲載)
区民会館時代はここに池上図書館があった
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