No.24

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

消えゆく光景

 数年前まで呑川を越えるようにして、養源寺の右手に長く枝を張り出したケヤキの大木があった。もう少しで柵まで届きそうに伸びていたが、2年ほど前、呑川に張り出した部分がバランス良く剪定された。ひとまず安心していたら、昨夏、そこが更地にされたとき伐り倒されてしまった。でも、それは仕方ないことだと思わざるを得なかった。
 ところが昨年11月下旬のある日、もう一つのケヤキが伐採された。池上4-10-11の池上秀久コート裏の、妙見橋の袂のケヤキの古木が、気が付いた時には、根元から忽然と消え去っていた。私が池上小学校に入学した昭和26年4月の時点で、大人二人でも抱きかかえられない程の大木だった。その時から数えても、間もなく66年が経つ。おそらく、少なく見積もっても樹齢100年は軽く超えていたのではないだろうか。
 池上小学校の学童を100年以上、見守って来た欅である。インターネットで検索すると、池上秀久コートの竣工は平成二年十二月のようである。その後だったか、前だったか、ケヤキの梢と大きく張り出した部分の枝が切り払われた。見るも無残な幹だけの、柱のような木になってしまい、そのまま枯れてしまうのではないかと危惧された。実際、数年間は、遠くからだと、葉っぱも見えない時期があった。しかし、最近になって、新しく小ぶりの枝が付き、そこから青葉が生え始めていた。
 昨秋になって秀久コートのマンションの解体工事が始まったが、ケヤキの周りは囲われて、木だけは残されるのかと思われた。それが根こそぎ消滅してしまったのである。意気消沈してしまった。
 伐採されたケヤキの木は、どうなったのであろうか。あれだけの幹の大きさがあれば、立派な臼が作れる。テーブルとか御膳とか高級木材である。楊枝梳りや、皮革細工…等々の、伝統工芸に携わる職人は、ケヤキを適宜の高さに伐った丸太を台として使う。おそらく、そうした用途に使われることなく、産業廃棄物になってしまったのであろう。
 ちなみに、養源寺には大田区保存樹に指定されているケヤキの木が2本ある。前田住職によれば、自分が子どもの頃も同じような太さだったというから、妙見橋袂のケヤキの樹齢はもっと古かった可能性もある。稲毛道・池上道・平間街道とも呼ばれた「旧道」(古東海道)に馬車が走っていた頃からケヤキはあったのであろう。一方、本門寺商店街入り口の戦前からのパン屋さんの栄屋ベーカリーが昨年十月末で閉店。池上にも消えゆく光景もあるのだなあ、と改めて思う次第である。

(ようげん寺報 2017年2月15日発行 第12巻 第1号掲載)
写真
65年前。シンボルのケヤキの向こうに
池上で最初のビル、城南信用金庫が見える。
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