No.26

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

「おせんぶさん」の植木市

 池上で「おせんぶさん」といえば、本門寺の千部会のときの植木市を指す。本門寺のHPによれば、千部会は、建長五年(一二五三)四月二十八日、日蓮聖人が安房国・清澄山の旭が森で、昇る朝日に向って南無妙法蓮華経と初めて唱題し、立教開宗した故事に因んで行なわれるようになったものという。本来は法華経一部(八巻二十八部)を千部(千回)読誦する法会だったが、時代の流れと共に現在は4月27日から三日間、法華経全巻を読み通す法要へと変化した。それに伴い、一ヶ月近く続いた植木市も4月25日~5月5日となった。
 私が小学生の頃は、本門寺山門の前から旧参道の現・米屋不動産あたりまで、ズラリと植木が立ち並び、呑川も西側は稲荷橋の辺りから東側は養源寺橋を越えて浄国橋の手前まで並んでいた。とくに、池上小学校の周りは植木に囲まれ、養源寺の庭はあたかも植木の出荷場と化していた。千部会の頃の池上は、少々、大袈裟に言えば、植木の炭酸同化作用で初夏のむせ返るような香りに包まれていたのである。
 植木屋の中には「お会式のとき、また来るから、それまで時々、水をあげてくれないか。好きな植木をあげるから…」と、小学生に頼み込む人もいた。実際、呑川の水をバケツで汲んで植木にやっていた同級生もいた。売れ残った植木の中には、お会式が終わっても放置されたままのもあった。それでも盗まれなかったのである。
 ところが、養源寺では、その逆に、植木屋によって寺の植木が盗まれる、という事件が発生している。前田住職は言う。「五十二、三年前のことでしたが、おせんぶが終わった数日後、庭にあった、たしかツツジ科のオオムラサキの木が根こそぎ消えてしまったのです。植木を置かしてほしいというので、先代が了承したのですが、終わったら自分たちが持ち込んだ植木と勘違いしたらしく、引き上げるとき一緒に持って行ってしまいました。今の金額に換算すると数十万円はするはずです。」
 このオオムラサキの木は当時、最上稲荷を祀った崖下にあり、最上稲荷のある場所からは富士山が良く見えたという。しかし、昭和34年9月26日の伊勢湾台風のとき、養源寺の崖が崩れて最上稲荷の小さな御堂は呑川まで一気に押し流されてしまった。実は、住職の家屋もそこにあったが、最上稲荷が身代わりになって救けてくれたものらしい。なお、最上稲荷は岡山市北区にある日蓮宗最上稲荷山妙教寺の鎮守社の分霊を祀ったものである。ちなみに、その前年の9月27日には狩野川台風があり、わたしが住む池上5丁目では1メートルほど浸水している。

(ようげん寺報 2017年6月15日発行 第12巻 第3号掲載)
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お千部の法要(池上本門寺)
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