No.28

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

六郷用水の水の霊性が集まってくる場所

 六郷用水は武蔵国多磨郡和泉村(東京都狛江市元和泉)の多摩川から取水し、荏原郡の世田谷領と六郷領、すなわち世田谷区を通って大田区へ流れ込む農業用の水路だった。多摩川対岸の橘樹郡(川崎市)の稻毛領・川崎領を流れる二ヶ領用水と共に、江戸初期の代官及び用水奉行の小泉次太夫吉次(一五三九~一六二四)が工事の指揮監督を行なった。池上地区の六郷用水は北堀流れで、東急多摩川駅・沼部駅(ここまでは旧世田谷領)から流れてきた用水が旧嶺村・旧鵜ノ木村の台地の下を流れる女堀を通って、環八を越えた千鳥3丁目で北堀と南堀(蒲田・六郷方面)に分流する。
 北堀は久ヶ原の台地に沿って東進し、第二京浜を越えて池上警察署の脇に出る。この辺りは旧徳持村と旧久ヶ原村の境で、千本松と呼ばれた場所だ。池上警察署の裏手の池上3-20- 4には、池上七福神の大黒天を祀る日蓮宗馬頭観音教会があって、そこだけが一際高くなっているが、実は、ここまで久ヶ原台地が延びていたことの証拠である。すなわち、北堀流れは久ヶ原台地の縁を流れてきたわけである。
 ここからは「北堀のみち」や「六郷用水」のポールなどがある。用水の跡は池上図書館の横、久寿餅の池田屋の裏を通り、新参道を越えて、真っ直ぐ東へ進むと呑川に出る。途中、グリーンアメニティ池上(池上4-8-1)とルーブル池上六番館(池上4-5-13)の間の用水路跡には「堤方の八寸」の次のような標柱が立っている。
《六郷用水北堀は、ここで直進して大森・蒲田方面への流れと、北に上がって呑川をわたり新井宿への流れ、南へ下って女塚方面へ向かう流れの三つに分かれていました。ここに設けられた堰はふつうの堰板ではなく、水流方向に直角の八寸角の角材がいけこまれた「八寸の水はかり」と呼ばれた独特のもので、この場所の名の由来ともなっています。》
 この《北に上がって呑川を渡る》流れは、養源寺のほぼ前あたりに出る。最近、都市河川としては初めてカワセミの雛が養源寺近くの呑川の穴から巣立ったが、まさに養源寺の周辺は水の霊性が輝いていた場所であったことがわかる。ちなみに、「八寸」から北へ向かう流れは旧道(池上道、平間街道…)を渡るが、その三差路の、現在は小さな駐車場の角に、昭和27年ごろ橋の痕跡があった。明治31年架設の石製の「山下橋」である。呑川の霊山橋・妙見橋・養源寺橋がまだ木橋だった時代に、である。この駐車場の向かい側に中村精米店があるが、そこの町会は池上本町である。六郷用水の流れが旧村や小名の境となっていたわけである。

(ようげん寺報 2017年10月15日発行 第12巻 第5号掲載)
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六郷用水「八寸の水はかり」堰の跡
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