No.29

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

潮風薫るパノラマ教室

 「潮風薫る清陵の…」と校歌に謳われた大森四中では、昭和30年代の中頃までは、毎年6月になると、パノラマ教室が出現した。パノラマ[panorama]とは「全景」を意味し、遮蔽物を取り去った眺望のことをいう。当時は、総天然色パノラマ映画などという言葉が使われていた。何のことはない、教室のガラス窓を全部外してしまうのである。もちろん、クーラーなんて無かった時代である。
 かくして薫風が教室を吹き抜けていく。否、これで少々、夏の暑さをしのぐことができた。そして時々、蚊や蠅や蜂、トンボや蝉が入り込む。小鳥が迷い込むこともある。まさに6月から9月は緑陰教室、林間学校さながらの状態である。ちなみに、健歩部(中学では登山部は許可されていなかった)の部活だったか、それとも別のイベントだったか、教員の指導の下、本門寺公園で飯盒炊飯をしたこともあった。
 当然のことながら梅雨時には困ることもあった。雨が教室内に吹き込むのである。そうなると大変。先生の号令のもと、一斉に窓があった左側から廊下側の右へ列の隙間を狭めて、机と椅子を移動させるのである。たしか席替えは前期(4~9月)・後期(10~3月)の2回行われたはずだが、民主主義的公平さを保つため、席の列は毎週、左から右へと移動した。台風の接近が予想されるときは、もっと大変だった。急遽、雨戸を取り付けて、それが飛ばないように補強したりした。先生と生徒の我慢と労力によって、緑陰教室は維持されてきたわけである。
 もちろん、潮風の気配は年中、感じられた。めぐみ坂からは羽田沖や大森沖の海が視えたし、望遠鏡を使えば船の往き来も眺めることができた。気象の影響もあるのだろうが、年に数回はボヮーという汽笛も聴こえてきた。とくに、昭和34年4月、南極観測船宗谷が第3次観測の任務を終えて東京港日ノ出桟橋へ帰還したときは、大森沖を通過する宗谷が教室から視えて非常に盛り上がった。第2次観測隊が泣く思いで鎖につないだまま、南極・昭和基地へ置き去ってきた15匹の樺太犬のうち、タロとジロの兄弟犬2匹が生き残っていたという朗報があったからだ。
 当時私たちは中3になったばかりだったが、友人が持ってきた双眼鏡で教室から宗谷の帰港を眺めた。船体にはたしかSOYAとあったはずである。生徒も先生も次々と教室の窓から眺めた。季節的にはパノラマ教室の季節ではなかったが、潮風かおる清陵の峰の一角に建つ大森四中の、どちらかというとボロ校舎からの眺望はとても良かった。

(ようげん寺報 2017年12月15日発行 第12巻 第6号掲載)
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現在の大森四中。昔はここから海が見えた。
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