いつか会える日

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賑わう寺で

賑わう寺で

 この寺の基を開かれた養源院殿妙荘日長大姉は、越前松平家、松平隆政のお母さんで、お万の方の影響もあって法華経の信仰に入られたようです。この大姉の命日が延宝四年(一六七六)辰の年の三月十五日。私の生まれたのが昭和十五年辰の年の三月十五日。三十年ほど前にそのことが急に強く意識され、そうか、大姉がこの寺を開創されたのなら、改修するのが私の役目なのだと、決心に似た思いが湧き上がってきたことを覚えています。
 先代師父の七回忌に、「やるなら今だ」という兄弟弟子の後押しもあって復興事業に踏み切ったのでしたが、うれしかったのは、境内のやさしい雰囲気が損なわれずそのまま残ったことでした。
 途中、阪神淡路大震災の復興支援のために、工事中のでこぼこの境内で雪にまみれて行ったバザーを皮切りに、盆踊りが始まり、万灯講中が生まれ、そのほか折々の行事も行われるようになり、七福神めぐりも加わって一年中境内に人の影が絶えることがなくなりました。そして多くの人が境内に足を踏み入れるそのことが、いよいよこの境内のいい雰囲気を育てていってくれているように、この頃思うのです。四十年ほど前、檀家のポンさん(押田さん)がこの山に植えた親指ほどの太さの桜の苗木が立派に育ち、枝垂れ桃のピンク、花桃の深紅、菜の花の黄色と相俟って、今年もきっと夢のような春景色を現わしてくれることでしょう。しかし、この山の景観も、丹精して下さる方の努力もさることながら、多くの人々に、美しいとほめられ眺められてきたおかげで育ってきたように思うのです。
 お囃子や獅子舞も加わり、たくさんの笑顔で埋まった今年の正月の賑わいも格別のものでした。世話人の宏さんが、「だんだん寅さんの映画のラストシーンに出てくる寺のようになってきましたね」と、うれしそうに言っていましたが、こうして寺が人々に親しまれてくることの喜びと共に、住職としての大切な勤めがまだまだ出来ていないことも自覚されてくるのです。

(ようげん寺報 2014年2月15日発行 第9巻 第1号掲載)
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