いつか会える日

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新春の贈りもの

 もう二十五、六年前になりますが、Tさんに初めてお会いした日のことを、今も鮮明に覚えています。
 交通事故で息子さんを亡くされたTさんが、かけがえのない思い出を本にして残しておきたいと、水書坊で仕事をしていた私を訪ねて来られたのでした。息子さんは高校二年生、十七歳の若さでした。
 持って来られた資料の中には、息子さんの写真や思い出の品々と共に、息子さんを突然の事故で失った母親の苦しい胸中が綴られた日記と一緒に幾通かの手紙が入っていました。手紙はTさんの菩提寺である信州高遠、遠照寺の住職である松井教一さんがTさんに宛てたもので、どの手紙にも最愛の息子さんを亡くされたTさんの苦しみをなんとかして救いたいという、住職としての真情があふれています。くり返し読んでいくと、一通の手紙ごとに日記に綴られているTさんの心境が変化していくのがわかりました。この手紙を是非本に載せさせていただこうと、そのお願いをしたのが松井師と私のご縁の始まりです。
 つい先日、その松井師からそれは丁重な墨書の宛名書きの封筒が届き、その中に一月二十二日に日蓮宗宗務院の講堂で高座説教をする旨の案内と、話の概要が同封されていました。「悲しみは忘れようとしなくていい、むしろその悲しみを大切に心の奥底に懐いていてください」。二十数年前、Tさんに届けた法華経の一句から得たその言葉の確証を松井師はずっと追い求めていたのでした。そして、その答えらしきものをようやく得たので話をしたいというのです。
 急きょ思いつく方々をお誘いして二十名ほどで聴聞したのですが、はっとさせられるような話を、いつものように淡々と話されているのがいかにも松井師らしいなと感心したり、高さ三尺五寸、幅四尺五寸、奥行き三尺五寸の高座の上で、こまごまとした所作と共に語られる高座調のそれも目新しく思え、同行の人たち共々とてもいい時間を過ごさせていただいたのでした。 

(ようげん寺報 2016年2月15日発行 第11巻 第1号掲載)
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