いつか会える日

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紙飛行機

 本門寺の青少年対象の文化活動である「朗子クラブ」が、今年で発足五十周年を迎えます。最初は日曜学校として出発したのですが、そこから鼓笛隊、合唱団、野球部、ボーイスカウトなどが生まれ、そうした活動を総称して「朗子クラブ」と呼ばれるようになりました。この頃から日曜日の池上の山は、子供たちの明るい声でいっぱいになるようになったのです。
 これもまた、当時本門寺の文化部長であった酒井さん(酒井日慈前本門寺貫首)が、青少年の健全な育成を願っての発案によるものでしたが、まったくゼロからの出発でしたから、まず、子供たちをどうして集めるかが大きな課題でした。本門寺のいろいろな機関を通じて告示すると共に、池上駅や近隣の小学校で毎朝のようにチラシも配りました。今でも駅頭などでチラシやティッシュを配っている人に、あまり素っ気なくできないのは、きっとチラシを受け取ってもらった時の、ちょっと救われたような気持を覚えているからだと思います。
 そんな或る朝、梅田小学校にチラシ配りに行ったところ、その日は不思議なほど多くの子供たちが、なにかうれしそうに受け取っていってくれるのでした。ところが、登校時間帯も終りに近づき、さて帰ろうかと思った時でした、二階の教室から紙飛行機が一斉に飛びはじめたのです。なるほどチラシは格好の紙飛行機の材料だったというわけですが、校庭をひらひらと舞うあの日の紙飛行機が忘れられません。 
 先日、その「朗子クラブ」の合唱団の演奏会に誘われ、もう五十周年を迎えるのかという感慨もあって、ほんとうに久しぶりに出かけてみたのですが、驚いたのは歌声の厚みが格段に豊かになっていること、子供たちの雰囲気が以前にも増して、実にいきいきとしていることでした。
 会場は昔通った立正大学の講堂でした。会場を出て懐かしい町を歩きながら演奏会の余韻に浸っていると、ふとまた紙飛行機が校庭を舞う、あの朝の光景が思い出されてくるのでした。 

(ようげん寺報 2016年6月15日発行 第11巻 第3号掲載)
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