いつか会える日

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よく探してごらん

 伊豆の法住寺(瓜島信行住職)さんから「はくがくさん」という寺報が送られてきます。ご住職と奥様、そして副住職であるご子息が、檀信徒と心を通わせながら、それは丹念にお寺の運営にあたっている様子が手に取るように伝わってきて、いつも「いいなぁ、素晴しいなぁ」と思います。
 先日、その夏号が届いたので読んでいましたら、びっくりするような記事が載っていました。それは法住寺さんの先代上人にまつわる話で、晩年のお上人の法話は「死んでも死なない」というそればかりで、聞いていて「またかぁ」と少々うんざりされたそうですが、それから三、四十年経った現在も、多くの檀家さんの心の中にその言葉が残っているのを知り、まさに「死んでも死なない」と思われたというものでした。実は私の師父の法話もまったく同じで、「あのね、人はね、死んでも死なないの」というものだったのです。しかも師父の場合は目をつぶってすっかり自分の世界に入りこみ、たのしそうに長々と話すのですから、私などはうんざりするどころかイライラすることさえありました。
 法住寺のご先代も私の師父も、法華経の一番の肝心である「永遠の命」を説いていることがわかります。生も死も永遠の命のその時々の姿にほかならないということなのですが、それが私のような頭の中の理解ではなく、信仰を通してほんとうに自分のものになったとき、「死んでも死なない」のほかに言葉はいらなくなったのでしょう。
 私が中学生の時でした。近所のおばさんが死んだことを、ちょっと大人ぶって「Nさんのおばさんがお亡くなりになりました」と告げると、父は一瞬鼻のあたりに笑いを浮かべて「なくなった?……よく探してごらん」と言ったのです。その時はからかわれた思いで腹が立ちましたが、父にしてみれば、死んだらおしまいとしか考えられずにもっともらしい顔をしている倅が、滑稽で情けなかったに違いありません。法華経の中に「よーく探してごらん」ということだったのです。

(ようげん寺報 2016年8月15日発行 第11巻 第4号掲載)
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