いつか会える日

22
イラスト

ったくもう!

 お経に「咄哉丈夫(たっさいじょうぶ)」という言葉が出てきます。辞書を見ると「咄」は、ちぇっと舌打ちをする、舌打ちして叱るというような意味で、「哉」は、かな、であることよ、のように感嘆を表わす助字とありますから「咄哉」は、ったくこの、とでも言いましょうか、どうしようもなく愚かしく情けないという気持が込められているのがわかります。「丈夫」はりっぱな男、一人前の男の意味ですから、咄哉丈夫は、ったくもういい年をして!ということにでもなるでしょう。ですからお経を読んでいてこの箇所にくると、自分のことを言われているようでいつもドキッとしてしまうのです。
 これは法華経の衣裏繋珠(えりけいじゅ)という譬え話に出てくる言葉で、ある男が友人の家に遊びに行き、すっかりご馳走になり酒も飲んで眠ってしまうのですが、その友人が急な公用で外出しなければならなくなります。そこで裕福な友人は眠っている男の着物の裏に、一生困らないほどの価値のある宝珠を縫いつけて出かけるのですが、それに気づかない男は眠りからさめて友人の家を出ると、その日暮らしの生活を送りながら諸国を流浪します。ある日ばったりその男と出会った友人が、やつれ果てた男の姿を見て最初に投げかけた言葉がこの「咄哉丈夫」だったのです。
 譬え話のこの友人はお釈迦さま、男たちは私たち。宝珠は人生のさまざまな苦悩から解き放たれるためのほんとうの智慧ということになります。それをそこに持っているのに、なんでも相も変わらず苦悩にまみれた日々を送っているのだ、と叱るのです。早くそれに気づきなさい、と。
 はじめは突き離されるように感じられていたこの言葉が、いつの頃からか心に沁みるようになってきたのは、この言葉の裏にある、幾度言って聞かせてもわからない子供を、ったくもうと叱りながらも決して見放さない、どんなことがあっても見放すことができない、深く切ない親心が読むたびに次第に強く感じられてくるようになったからだと思います。

(ようげん寺報 2016年10月15日発行 第11巻 第5号掲載)
イラスト
お問い合わせ