いつか会える日

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宝もの

 宗派の枠をこえて広く仏教を学び、それを私たちの日常に生かしていこうと、「南無の会」の活動が始まったのは昭和五十一年。活動の中心は誰もが入りやすい町の喫茶店で、松原泰道先生や無着成恭先生など、いろいろな宗派の方に話をしていただくという、いわば現代版の辻説法でした。
 その当時、ある機関で現代人の宗教に対する意識調査をしたところ、現代人は寺離れはしているが仏教に対する関心はある。ただ寺の敷居が高くて訪ねにくいということでした。ならば寺の方から町に出ていこう、ということになったのです。
 これと同時に、会場に足を運べない人々にもお説法の内容を伝えようと、水書坊という出版社が創られ、月刊誌「ナーム」が発行されました。
 この南無の会の発案者であり、水書坊の創立者であり、会の事務局長、出版の編集責任者として先頭に立ってこられたのが、酒井謙佑(前の池上本門寺貫首酒井日慈)さんでした。
 喫茶店でお説法なんて、と、そんな危惧を抱く人もいましたが、会場は毎週入りきれないほどの盛況で、これには主催した側も正直驚かされたのでした。会場も一つまた一つと増え、全国からも趣旨に賛同して会を立ち上げるグループが続きました。
 以来四十年近く、酒井さんと共にあって会の活動に、雑誌の編集に携わる中で学ばせていただいたことの多さ、大きさは量り知れません。私の人生の宝ものと言ってもいい、かけがえのない四十年です。
 ところで、酒井さんは昔から筆を持つことが嫌いで、本門寺に貫首様として在山中はそれでずいぶん周囲を困らせたようでしたが、その酒井さんの書が昨年の暮、思いもかけず私の手許に届けられたのです。「南無」と大書された脇に、平成二十八年五月六日、九十七叟日慈とあります。五月六日は酒井さんの誕生日です。さっそく表装をして書院の床の間に掛けましたので是非ご覧ください。それはそれはなんとも言いようのない味わいの書なのです。

(ようげん寺報 2017年2月15日発行 第12巻 第1号掲載)
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