いつか会える日

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ランドセルから

 毎年この時期になると、真新しいランドセルを背負った新入生たちが、寺の前の通学路を行き交うようになります。中にはとても小柄なために、まるでランドセルだけが歩いていくような光景もあって、その可愛らしさ、いじらしさについつい見とれてしまいます。
 そうか、この頃から私たちの人生は物を持つこと、運ぶことと切り離せなくなるのだと、フトそんなことを思ったのは、つい最近誕生祝いに小さなショルダーバッグをプレゼントされたからに違いありません。それは掛かり付けの医師が毎月の私の健康状態をメモする手帳と、健康診断の記録、健康保険証といざという時に搬送してもらいたい病院の診察券などがちょうど収まるぐらいの、小さなバッグです。
 これまで使ってきたさまざまなバッグのことを思い出します。大きな旅行鞄と撮影器材を詰め込んだジュラルミンケースを両肩にかけ、それを苦にもせず取材に出掛けた時期もありましたが、年齢と共にバッグは一つになり、それも次第に小型になってゆき、とうとうこの小さなバッグに辿り着いたというわけです。
 ふり返れば、まるで後悔の種を撒いて歩いているような若い頃の日々でした。それが年齢と共に少しは賢くなって、悔いること悩むこともきっと少なくなっていくのだろうと思っていたのですが、バッグは限りなく小さくなっていくものの、そちらの方は相も変わらずなのはどうしてでしょう。
 いつの頃からかこの寺の勝手口あたりに居着くようになった三匹の猫がいます。年齢不詳ですがその内の一匹はかなりの老齢のようです。テレビのコマーシャルに出てくるような決して美しい猫ではないのですが、毎日幾人もの人がその姿を見に来るほどの人気者なのが不思議でなりません。もしかすると、バッグはおろか家財道具一つ持たず、着るものもつけず、その身そのまま春夏秋冬を自由気まま淡々と生きていく、その潔さに人を惹き付ける何かがあるのかも知れません。

(ようげん寺報 2017年4月15日発行 第12巻 第2号掲載)
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