いつか会える日

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世界の中心

 この養源寺で僧侶としての第一歩を踏み出した中島啓文師が、栃木県大田原市護法寺の住職になることが決まり、その入寺式が四月二十九日に行われました。
 護法寺は啓文師の祖父にあたる中島本要上人が創設したお寺で、二代目がお父さんの中島教之上人、啓文師は第三代目となります。
 いずれはこういう日が来るのだろうと、いや、この日の来ることを願って身の程もわきまえず師匠を引き受けたのですが、いざその日が現実になると、ああ、とうとうそういう時が来たのだと、一入の感慨が湧いてくるのでした。
 そもそもは中島教之師との四十年以上にもなる深い縁の中から生じたことですが、三十年近く前に初めて本要上人にお目にかかって以来、その人柄に強く魅せられたことも、こうした役割を買って出た動機の一つであったように思います。
 個性も風ぼうもまったく異なるのですが、私はこの本要上人に師父に似たぬくもりのようなものを感じていました。筆舌に尽くせない人生の辛苦をことごとく信仰のエネルギーに変えていき、ついに生きることと信仰が一つ、呼吸することとお題目を唱えることがそのまま一つになっているという、そういう世界を、この二人が共有していたからだと思います。ですから昭和六十三年に師父が亡くなってからは、もう一人の父であるような思いがありました。
 今年は本要上人の十七回忌にあたり、生誕百年の年でもあるということでした。この日を決め、この日に到るまでの教之上人の胸中も如何であったことでしょう。
 渾身の大音声で奉告文(新住職としての決意表明文)を読み上げた啓文師に「経文にある通り法華経の説かれる所はすべからく道場です。お題目の声のあるところは世界の中心です。栃木県大田原市荻野目五七の護法寺は全世界の中心です。どうかここから清々しく生き生きとした波動を世界中に送りつづけていってください」と祝辞をして帰ってきたのでした。

(ようげん寺報 2017年6月15日発行 第12巻 第3号掲載)
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