

杖を突いたり
本堂の脇に小さな池があります。きれいで豊富な山からの絞り水がそのまま下水路に流されていってしまうのがもったいなくて、十年ほど前に造った池ですが、そんな人工の小さな池にも最近は四季折々の表情が感じられるようになってきました。
池に棲むのはメダカとクチボソ。誰かが放したドジョウ三匹。ヤゴにカワニナといったところでしょうか。
夏には水面から飛び上る勢いで、ピチピチ驚くほどの音を立てて飼を食べたクチボソの一団も十一月に入ると次第に姿を見せなくなります。最初は俄か造りの環境が合わずに全滅してしまったかと心配したのですが、春になると姿を見せはじめるので、この季節からは冬眠状態になるようです。水の色もいかにも冬らしい、冷たい色に変わってきます。自然というには小さな空間ですが、植栽された木々もこの池も幾年か雨風にさらされてそこに在る中で、それらしい佇まいを見せていくようになるのだなと、感心させられます。
人間にも人それぞれ、その人らしい佇まいがあってしかるべきなのでしょうが、何十年と生きてきてもそうした雰囲気を身につけるのはむずかしいようです。
先代の好きだった狂歌に「後悔を先に立たせて後から見れば杖を突いたり転んだり」というのがありました。悪戯っぽく「……転んだり、ってね」と言った先代の顔もその時のまま思い出します。
上手いもんだなと、最初はそのおかしさに感心していたのですが、よく考えるとこれは自分が仕出かしてしまった取り返しのつかない失態や、思い出すだけでも冷や汗の出る振舞いなどの一部始終を、自分の目の前に立たせるようにしてはっきり見ているのですから、とても滑稽どころの話ではありません。まさに狂歌の真面目といったところですが、こうした自己凝視の視点をどこかに持ちつづけることから、人としての雰囲気、佇まいも生まれてくるのかも知れません。
