いつか会える日

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いるみたい

 先日、平塚善性寺の竹内上人がお年始に見え、いつものように賑やかにお話をされていきました。竹内上人も昔、この寺から学校に通ったのでしたが、その頃には他にもいろいろな人が下宿をしていて、大小さまざまな珍事件が起きない日はないという、まるで合宿所のような雰囲気でした。もう六十年ぐらいも前のことです。ちなみに私がカメラに興味を持つようになったのはこの竹内上人の影響で、今思えばどこでどのように手に入れてきたのか、いろいろなカメラを持ってきては、私たち一同を前にうんちくを垂れたものでした。
 帰られるというので見送って境内に出ましたら、本堂の屋根を見上げながら「……におしょうさんが……みたいだな」と、つぶやくように言います。小さな声でしたので「え、なに?」と聞き返すと、本堂の屋根の「妙法」と刻まれた峰瓦のあたりを指さして、「いや、だから、あのへんにね、おしょうさんがいるみたいだって」と、うれしそうに言うのでした。
 そんな竹内上人の横顔を見ながら、四十年ほど前、一緒に編集の仕事をしていた友人が遊びに来て、「この寺の境内には隅々までお経が染みわたっている」と言ったのを思い出していました。友人の言葉はその時以来、すっかり私の中に棲みついてしまい、いつの間にか私自身のものとなってしまいました。
 この寺の住職となって、今年でちょうど三十年になります。ふり返れば歴代の、特に先代と母が積み上げ、境内の隅々まで染みこませた有形無形の徳を、放蕩息子よろしく切り崩し、使い続けるばかりの三十年でありました。ただ、この境内に、この寺の佇いに、そうした徳が息づいているという思いは今に変わることはなく、何かのご縁で訪れてくださった方がこの境内に立ち、ほっとされたり、いいなあと思ってくださる、それも端の端ではあれ仏縁につながってくれるのではと、たくさんの人の手を煩わせることを知りながら、ついまた次の催しを考えてしまうのです。

(ようげん寺報 2018年2月15日発行 第13巻 第1号掲載)
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