…がくれた、幸せ
モーター
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

 夏休みの朝、マブチモーターの提供で「夏休み工作教室」というのをTVでやっていました。私の目はスタジオに並べられた黄色い箱とモーターに釘付けでした。モーターを買うために母にねだると、母は「何(なん)を作るとね?」と聞きました。私にアテはありません。「何(なん)か作る」と答えました。結局、モーターは買っただけで、ずっと机の引き出しに収まっていました。
 中学になると理科の授業で2極式のモーターを作りました。牛乳の底のような眼鏡をかけた女先生が「乾電池1個で回れば100点あげる」というので、覚えのある生徒は勇み立っていました。余談ですが、こういうのって女子は

不得意でしたね。「あきつさ~ん、ウチのも作ってくれんね」って、私は人気者でした。自分のモーターはたちまち作りあげて、手伝ってあげました。提出したモーターは、先生が電流を流して電圧をはかるのです。私のは1.5Vで回り、満点でした。「やっぱ、すごかね」と、女生徒にはやし立てられて有頂天でした。そんな時、新くんが「福留のは1Vで回っちょる」と意味ありげに言いました。
 新くんは天才です。その当時から日本は体操競技が強くて、「鬼に金棒 小野に鉄棒」と言う言葉が流行っていました。クラブ活動も体操部に入る者が多かったのです。新くんも体操をやっていました。ところが、彼の凄さは、クラブ活動をやりながら成績も優秀なことです。その彼が、練習中に右手を骨折しました。中間試験の直前に、です。落胆している彼に、私は「左手があろうが」と深い思いもなしに言ったものです。すると、新くんは左手で中間試験を受けて、首席になったのです。
 その、彼が「1Vで回ろうもん」と、私をき付けたのです。女子たちのモーター作りを手伝ったおかげで、どのようにしたら良く回るかという理屈などに詳しくなっていた私は、コイルを丁寧に巻き、左右対称、回転軸、軸受けなどに気を配って、とにかく根気よく作ったのでした。そして、翌日、出来上がったモーターは0.9Vで回ったのです。

(ようげん寺報 2013年6月15日発行 第8巻第2号掲載)
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