…がくれた、幸せ
お兄ちゃん
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

 小学四年生の時の事です。ノートが欲しくて、ノートをねだりました。母は、「この前、買うたばかりやろうが」と言ってとりあってくれません。私は、母が「うん」と言ってくれるまで、二日でも三日でも「なあ、買うて」とねだっていました。そんな私を母は「困った性分」と言い、姉は「ワガママ」と言いました。私がその時にねだったのは「大学ノート」でした。
 私は四年生になって、入塾しました。いわゆる進学塾ではなく、学習塾です。勉強しない子が多く、困った親たちが話し合って作った塾

でしたが、子どもたちは夕飯のあとの遊びに集まっていました。
 入塾して幾日かが経っていました。私の前に隆ちゃんの「お兄ちゃん」が座りました。野球部のレギュラーだというのに、想像に反して物静かで、仕草が美しいのです。何日かした頃に、お兄ちゃんの使っているノートに惹かれました。字も美しいと思いました。そして鉛筆の削り方に見とれました。「恋」していたのかも知れません。ノートや字に惹かれたら、制服や持ち物のすべてが好ましく見えるようになったのです。私がノートをねだったのには、お兄ちゃんと同じものが欲しい、身につけたい、そんなワケがあったのです。しかし、そのことが、後の私の人生を決めてしまうような重大な事だとは、誰も想像だにしていません。母は「無駄」と言い、取りつく島もなかったのです。結局、自分で、小遣いを貯めるなどして、「大学ノート」と「鉛筆」を手に入れたのでした。きなりのノートに鉛筆の黒が美しく、胸が高鳴りました。中学に入ると万年筆を使います。ペリカンの万年筆のライトヴルーのインクは最高に輝いて見えました。このように書き綴っていると「困った性分」と嘆いた母の気持ちもわかります。しかし、私には一大事だったのです。
 高校、大学受験生活が過ぎ、結婚しました。東京まで追ってきた彼女に「なぜ?」と聞いた事があります。彼女はきっぱりと「大学ノートの字が好きだったから」と言いました。私の気持ちは複雑でした。

(ようげん寺報 2014年4月15日発行 第9巻 第2号掲載)
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