私が小学生の頃は、カメラのある家は珍しく、近所では私の兄しか持ってせんでした。加えて、義兄が写真を仕事にしていたので、私の周りにはカメラが普通にありました。実兄のカメラはミノルタの縦型の二眼レフで、義兄のはライカ型で、Altaだったように記憶しています。
二人の兄から「好きに使っていいよ」と言われましたが、気軽には触れませんでした。小学四年生になった年の誕生日に、私は初めて「自分のカメラ」を手にしました。義兄の贈り物で、「オリンパス ペン」でした。義兄は「いいカメラだぞ」と言いました。写真が「倍、撮れる」と言うのです。
その後、私は実兄から「現像」を教わり、もっ
高級一眼レフを手にしたのは最近のことです。ところがです。今は、技術が進化して、誰でもが一定の画質の美しい写真を撮れるようになりました。奇麗な写真が評価される時代は終わったのです。私も、画質よりも「いい瞬間」を撮る努力をするようになりました。それは、まさに「量」が必要な世界です。あのときの義兄はそこまで見越していたのでしょうか?
(ようげん寺報 2014年6月15日発行 第9巻 第3号掲載)