


これから記すことが「…がくれた幸せ」であるかどうかは分かりませんが、結果としてボクの人生に決定的な影響を与えました。
3月にボクの進学が決まりました。4月に次姉が東京で結婚しました。「萬年筆」でその時のエピソードを書いています。次いで5月。三番目の姉が大阪に嫁ぎました。この時、ボクは留守番。前日の夕方、ボクは家の前の土手を登って、往還を眺めていました。すると、右手から長兄が、長兄に似合わずピンクのトランクを肩にして我が家へ急いでいました。この頃の兄は別居していたのです。トランクは今のモノのようにキャスターなんて着いていません。肩に置いていました。
ボクの高校入学が決まると、父はよほど嬉しかったようで個室を作ってくれ、本棚を買ってくれて、当時では珍しかった6段ギア付の自転車まで買ってくれました。その日も、クラブ活動で遅くなり、ギアを上げて急いでいました。と、ヘッドライトがプツんと切れたのです。取り替えたばかりだったので気持ちに揺らぎがありました。我が家が見えた辺りで「よっちゃーん」と言う声がしました。隣のおばさんでした。おばさんは「にいちゃんが、大変な事になっちょるばい」と深刻顔に伝えてくれました。この日、長兄は炭坑のガス爆発で帰らぬ人となったのです。
1965年三井山野炭坑爆発事故。死者、行方不明者237人。
戦後のドサクサで卒業証書をもらわなかった長兄は、この年、弱電関係の国家試験を受験する予定でした。長男だったためにやりたい事をやれずに逝ってしまった長兄に、涙が溢れました。
(ようげん寺報 2015年10月15日発行 第10巻 第5号掲載)
