…がくれた、幸せ
美術部
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

  美術部の担任の弓(ゆみ)先生から「高校生だけの美術連盟発足」の話がありました。各県に「県展」と言うのがありますが、県展は幅広い年齢層からの出展があり高校生の作品はほんの一部しか展示できないために、高校生だけの展覧会を催そうという先生方の思いで発足したのでした。発足したと言っても、運営は生徒が行います。ここで困った事になりました。と言うのは、我が校の美術部に3年生はいなくなっていたからです。不安なボクたちは先生に相談に行く事にしました。
 弓先生は絵を描く人に似合わずカラッ

とした性格で、剣道部長も兼任していて生徒に人気のある先生でした。ボクたちの不安を聞いた先生は、
「よかよか、あんたたちはハートがあるけん」
と、言うのでした。一週間後に生徒だけの最初の運営委員会が行われました。驚いた事に、議長校は我が校だったのです。発起人が弓先生だったからです
 数ヶ月後に展覧会は行われました。ある日のこと、部室に、剣道着姿の弓先生がやって来て、「岡崎くんの絵ば入選したとよ」と笑顔で伝えてくれました。みんなで喜んだのは言うまでもありません。上口くんが「秋津くんのは?」と尋ねました。すると、先生は頭を掻きながら「すまん、ボクが間違ごーとったとよ」と言うではありませんか。みんなが怪訝そうにしていると、先生は「寸法が違ごーとったから失格やったと」とぺこりと頭を下げたのです。弓先生はキャンバスの寸法(号)しか知らなかったのです。ボクは先生から教わった30号の寸法で作品を作っていました。規格はB2判だったのです。それから少し経った頃、上口くんが部室に入ってくるなり「秋津くんは知っとると?」と言いました。「何の事?」と答えると、「図書館に掛けてあるとよ」と言いました。ボクの作った失格の作品が図書館の壁にドーンと派手に飾ってあったのです。弓先生の配慮だったのは言うまでもありません。

(ようげん寺報 2015年12月15日発行 第10巻 第6号掲載)
イラスト
お問い合わせ