…がくれた、幸せ
課外授業
文・秋津良晴 絵・中山成子
 ある日、母が、「課外授業に出るように言ってくださいち言いよんしゃたよ」と、咎める風もなく言いました。ボクは「狆(ちん)が来たとね」と言いました。再三、課外授業への出席を忠告したにも関わらず、改めないボクに業を煮やした担任のM先生が家にやって来たのでした。狆とは犬の「ちん」です。狭い額の下の丸いつぶらな瞳が黒縁の眼鏡で囲まれている様が狆にそっくりなのです。ボクは、「なんち答えたと?」
と尋ねました。母は、「あん子は言うこつ聞きませんもんね」と答えたそうです。
 中学校の先生から「美術大学に行くなら」と言って勧められたのがこの高校でした。当時の中学の先生たちは、校区制を守らせることに熱心でした。その結果、ボクは近くの進学校に入学したのです。高校では成績順
にクラス分けがしてありました。ボクは幸か不幸か成績が良かったので「国立一期」の受験クラスに入っていました。
 既に、美術部に入っていた頃のことです。高校へは自転車通学です。しかし、雨の日はバスになります。当時はまだ女性の車掌さんがいました。故郷では鉄道は不便で、バス通勤、通学がほとんどです。雨の日は混雑を極めました。都会ではラッシュ時には「押し屋」というのがあり、無理矢理押し入れたり、乗客を制限したりしていましたが、故郷のバスにそんな人はおりません。通勤客や学生たちは車掌さんの制止を振り切って次々に乗車するので、バスは遅れに遅れます。そんな日には遅刻してしまいます。授業中の教室に入って行くのも躊躇われ、次第に、ボクの足は部室へと向かうようになりました。
 ある日、そうと知った担任の狆が部室にやってきました。そして「なぜ、出ないのか」と責め立てました。ボクにもそれなりの言い分がありました。ボクの受験する学校は「国立一期」でも「美術大学」です。試験は実技が中心で、一次と二次試験はデッサンでした。ボクは狆に「ボクの課外授業はデッサンです」と言い切って、課外授業をボイコットしたのです。 つづく
(ようげん寺報 2016年2月15日発行 第11巻 第1号掲載)
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