…がくれた、幸せ
革靴
文・秋津良晴 絵・中山成子
 先日、父より10年長生きしている事を知りました。映像的には沢山の記憶があるのですが、言葉の記憶は多くありません。しかし、少ないからこそ鮮明に残っているとも言えます。
 小学生の頃、その日は夜が明けないうちに家を出ました。夜半までの雨で道はぬかるんでいて、ボクは小さな水たまりを避けるように、歩いていました。と、父が「かかとから」地面に接するように歩けば泥水がはねないと言いました。父の言う通りに歩くとズボンの裾を汚さないで歩けました。
 高校受験を合格すると、父は余程嬉しかった
ようです。当時、入学祝いと言えば、中学は万年筆。高校は腕時計でした。父はそれに加えて勉強部屋を作ってくれたり、自転車や革靴も買ってくれました。革靴の裏に鋲を打って、これ見よがしに「カツ、カツ、カツ」と音を鳴らして肩で風を切って歩く者も少なくありませんでした。革靴は「大人の証」だったのです。ボクは嬉しそうにしていたと思います。父はボクを戒めるように「皮は水に弱いから雨に濡らすなよ」と言いました。
 高校に入学して間もない頃、部活で遅くなって帰りを急ごうとしていたら、雨が降り出しました。下駄箱にスリッパをしまい、靴を取り出そうとした時、父の言葉を思い出したのです。「雨に濡らすなよ」と。ボクはしまいかけたスリッパをはいて、革靴を鞄の下にして自転車の荷台にくくり付けたのです。家に帰り着いた頃、雨はほとんど止んでいました。母の立ち働く土間の入り口に立つと母はボクの足下を見、何か言いたげにしていました。ボクは「雨に降られた」「靴は濡らさなかった」とやや自慢げに言ったのです。すると母は「ばかね。あんたは」と渋い顔をして言いました。
 それから一年。新しい先生や友人に出会ったあの頃、父は帰らぬ人になりました。享年五十七歳。前年の兄の死と同じ、炭坑のガス爆発でした。父の最後の記憶は、兄が事故で亡くなった時、「俺が先だったら」と、悔しそうに言った言葉です。
(ようげん寺報 2016年8月15日発行 第11巻 第4号掲載)
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