…がくれた、幸せ
積立金
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 ボクのエッセイには度々カメラと万年筆が出てきます。双方ともに半世紀以上の付き合いです。それらは、ボクの未来に特別な役割を果たしてくれました。
 高校2年の夏休み前のことでした。カメラは、それまでは兄のものでしたが、この年、ようやく「欲しい」と思うカメラに出合ったのです。minolta SR-1 一眼レフのカメラです。二眼レフカメラ自体、高価なものだったのに、さらに高値のものでした。
 その頃のボクは、二人の姉が競うようにお年玉をくれていたものだから、そこそこの貯金があったものだから、「買う」という無謀な決意をしたので
した。しかし、少しばかり足りません。そこで目をつけたのが「修学旅行の積立金」でした。いくらあったのか、記憶にありませんが、お年玉と合わせると丁度、買える金額になりました。今となっては、友達とのかけがえのない思い出となる旅行ですが、当時のボクは「一眼レフカメラ」が魔法の杖に見えていたのです。
 学校では相当に問題になっていました。担任の先生が何度か母を訪ねてきて、旅行に参加するように説得があったようで、母が「また、来んしゃったばい」と言うのを二度ほど聞き流しました。しかし、ボクのわがままは岩をも通します。ついに、母も先生も沈黙せざるを得なくなったようです。
 これまで、そのようにして手に入れた道具は一つや二つではありません。今、目の前にある防湿キャビネットには数台のカメラやレンズなどが入っています。中のカメラたちを見るたびに思うことは、高二の時の修学旅行へ行かなかったことや、それに類するわがままなボクです。それらは大切に使っているけれど、犠牲にしてきた旅行や付き合いに見合うだけの使い方をしているか、果たして使い切っているのかと、日々を疑うボクがいます。
 ボクは、成仏とは、使い切ることだと思っています。この年になるまで集めてきた道具たちのことを思うと、自分すら使い切っていないではないかと、行かなかった修学旅行に思いを馳せています。
(ようげん寺報 2016年12月15日発行 第11巻 第6号掲載)
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