…がくれた、幸せ
伴侶
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 ラジオで「万年筆を買いました」という便りが読まれていました。内容からは現代のモノに飽き、豊かさを求める意識が読み取れました。しかし、「書きにくかった」という感想でした。便りを受け取ったパーソナリティたちは「安もの」だったからという意見に落ち着きましたが、後日、その放送を聞いていた別のリスナーから「紙によって書き心地が変わる」から、試してみてはという便りがありました。
 最近は便利で使いやすい色々な筆記用具が開発されています。「筆ペン」や「ボールペン」は使い勝手が良いですね。ラジオのパーソナリティが、ボールペンは「玉乗りのような書き心地」と言っていたのが印象的でした。引っか
かりがなく、くるくる書けると言う意味なのか、不安定で心もとないという意味なのかは分かりません。話の流れでは「引っかかる事なく書ける」と理解しました。ボールペンはあまり「紙質」に神経質にならずに済みます。どんな紙でも同じような書き心地で書ける。使う人は筆記用具に気をとられる事なく、内容にだけ意識を集中できますね。しかし、万年筆を買ったと言うリスナーはそれじゃあつまらないと思ったのでしょう。万年筆を手にした文豪のような風情に心を寄せたのでしょうか。それとも、あんな字を書いてみたいという思いだったのでしょうか。どちらにせよ、この時、リスナーは、便利で使いやすい道具を離れて、違った世界に足を踏み入れたのです。その辺の意識が無い分「使いにくい」という不満を持つ事になったのです。
 最近の商品は買った時が「旬(しゅん)」に仕上がっています。それはとりもなおさず、使って行くうちに劣化の一途をたどるということでもあるのです。デジカメやパソコンなどのデジタル商品に至っては、見た目は新品でもバージョンアップだのソフトの変化などがあるので、そのままでは数年で使えなくなってしまいます。一方、アナログ時代の「機械」「器具」「道具」のほとんどが、買った時は「青春期」であり、本当に力を発揮するには数ヶ月、数年の、「使いこなし(育て)」の時間が必要です。つまり、使う人がそれなりに寄り添ってあげないと、思うような効果が出ないのです。結果だけを求めて万年筆を使っても、青年期の万年筆は言う事を聞いてくれません。
 ボクたちは安くて、便利で早く使える道具に慣れきっていますが、今回のリスナーが望むような満足感を与えてくれません。一方、万年筆のような古くからある道具は、使う者が使って成長させるので、使い慣れてくると何ものにも代えがたい伴侶となってくれます。道具が心の一部になってくれるのです。ボールペンよりも高くつきます。不便で慣れるまで時間が掛かる面倒な道具ですが、今の時代だからこそ寄り添ってみてはいかがでしょう。
(ようげん寺報 2017年6月15日発行 第12巻 第3号掲載)
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