…がくれた、幸せ
伴侶
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 兄はオーディオ作りや、写真を趣味にしていました。義兄はチラシなどの商品撮影の仕事をしていました。そんな状況だからボクがカメラに汚染されないわけはありません。高校生になると修学旅行のお金で、一眼レフカメラを買うなどしたものだから、「カメラマニア」と言われるようになっていました。潜り込んだ出版社にはいつもカメラをぶら下げて通っていました。いつの間にかカメラマンにされていました。「仕事になる」と思ったので、機材を揃えました。お金がかかりました。生活が苦しくなりました。明日、どうするかを思い悩んで、夜中、街中をさ迷ったことが度々ありました。徐々に仕事は増えたけれど生活は苦しく、いい写真も撮れなくなっていました。しかし、一方で、編集やデザインの力は認められ始めていたのです。写
真を続けるか、転職するか、迷いの最中にありました。
 「迷い」は囚われから生じます。進路などを決断する時、親は「よく考えろ」と言います。しかし、先が見える人はいないのだから、考えたところで正しい答えは出ません。それでも考える。そして時間だけが過ぎてしまって、成り行きで決まってしまいます。無駄な時間を貪っただけなのです。不安は残ったままなのです。
 迷った時は右も左もリスクは一つと思い決めて、一方を「捨てる」しかありません。あれこれ抱え込んでいるモノを捨てなければ何も始まらない。ボクの場合のそれは「カメラ」だったのです。プロになる気で揃えて来た機材を捨てることは忍びがたいことでした。編集やデザインに転職しても、成功するとは、誰も約束してくれていません。「捨てる」とは、カメラを持っていたいと言う「欲」を断つことであり、先行きの「生活の不安」と闘うことだったのです。ふと、思いました。選ぶ時に大事なことは「考えて先(結果)を見通そうとする事」ではなく、決めてしまって「結果を良くする決意」だと。そして、「そこから(何もないところ)始まる」と覚悟する事だと。ボクは腹を据え、デザインへの道を目指したのでした。
(ようげん寺報 2017年8月15日発行 第12巻 第4号掲載)
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