…がくれた、幸せ
お坊さん
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 この稿は、ボクを幸せにしてくれた「人」や「モノ」を書き綴っています。今回は「お坊さん」。ボクは、いわゆる「多感」な時期に父、兄、恩師、親友を立て続けに亡くしてしまいました。人が亡くなると葬式に参列することになります。亡くなった人を成仏させてくれるのがお坊さんだと思っていたボクはことごとく裏切られる結果になってしまいました。詳細は述べませんが、少年にはそのように見えていました。以来ボクは「お坊さん」を信じなくなりました。
 その後、皮肉なことにボクの人生を左右したのもお坊さんでした。二人いらっしゃいます。一人が「前田利勝上人」です。
 耳に心地よい「お説教」をしてくれる
お坊さんも、噂では外車を乗り回したり、妾を囲ったり、そんな話は珍しくありません。真面目なお坊さんも読経を終えると慌ただしく次の家へと向かわれます。誰も異議は唱えません。世間が「坊主はいい商売」だと言うのはそういう事だと思います。ところが、利勝上人はひと味も、ふた味も違ったお坊さんです。何が違うのかというと、耳です。「耳がいい」のです。
 世に「頭がいい」と言われる人に2種類あります。成績がいい人と、気配りや勘が良く知恵の働く人の2種類です。これと同じように、「耳がいい」と言われる人も聴覚がいい人と、相手の言葉に寄り添って心の中を聞いてくれる人の2種類です。利勝上人は後者にあたり、極めて稀な聞き上手です。
 成績がいい。聴覚がいいというのはどちらも数字で表せます。みんなはそこに力を注ぎますが、人間にとって大事なものの大半は数字外に存在します。しかし、目には見えないのでその力は評価されにくい。それでも大事なものは大事として努力されてこられたのが利勝上人なのです。
 そんな住職が退任されると聞いて残念です。しかし、身体のことなどを思うと仕方ない事かと受け容れています。今後は、体調と話し合いながら、今までと変わりないお勤めを続けて行かれます事を願っています。「とりあえず」ご苦労様でした。
(ようげん寺報 2018年8月15日発行 第13巻 第4号掲載)
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