いつか会える日

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わかったつもり

わかったつもり

 道路に面した境内の縁に、夏みかんの木があります。大きくなった桜の木の陰になっているせいか、ここ数年はほとんど実をつけませんが、枝葉だけはうっ蒼と茂って風通しが悪くなっているため、植木屋さんに頼んで枝を整理してもらうことにし、六月の初めに作業することになりました。
 ところが、それからしばらくして境内を歩いていると、どこからともなくいい香りが漂ってきます。もしやと思って件の夏みかんの木に近づいてみると、驚いたことにたくさんの花を一面につけているのです。この分では来年、優に二百個以上の実をつけるに違いありません。あわてて植木屋さんに連絡し、今回は剪定を見送ろうということになりました。
 以前、ある住職から、大事にしていた庭木が枯れかけてしまい、どうしても再生の見込みがないので、「仕方がない、切ろう」と木に向かって言ったところ、急に樹勢を回復させたという話を聞いたことがあります。その時は、とても楽しそうに話されるその話を、私もただ面白く聞いていただけでしたが、今回は、なるほどこういうこともあるのだと知らされたのでした。
 そういえば、これとちょっと似た話に「毛穴から教えが染み込む」というのがありました。お説法の場に身を置いていると、たとえうっかり居眠りをしていたとしても、毛穴から教えが染み込んで、いつしかその人の身に備わるというものです。集中力の乏しい私などには、まことに心強い話で忘れられません。
 二つの話に共通しているのは、人の思いや言葉が伝わるのは耳からだけではないということですが、それだけではなく、後の話などは耳だけを頼りにしてはいけないと言っているようにも思うのです。耳から入ってきた言葉を、私たちは持ち合せの知識と経験で理解し、すっかりわかったつもりになってしまいますが、実はそれが、大切なことを正しく受けとめられない大きな原因にもなっているのではないかということです。

(ようげん寺報 2015年6月15日発行 第10巻 第3号掲載)
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