…がくれた、幸せ
お坊さん
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 手元に漢字学者の白川静氏のお弟子さんである山本史哉氏が書かれた『神さまがくれた漢字たち』という本があります。
 西暦100年頃に後漢の許愼によって漢字の字書『説文解字』が作られました。以来2000年あまり信じられてきましたが、白川静氏は、その字義や成り立ちについての解説を根底から崩してしまった学者さんです。その事はともかく、お弟子さんのこの本の題名は、「(漢字は)神さまがくれた」ものとなっています。
 ボクが習字に行きたいとねだった時、母は算盤塾へ通わせました。不承不承ではありましたが、1年ほど通って3級を取得したところで母への義理は済ませたものと思いました。以後のボクは「文字」に埋没して行ったのです。
 小学5年生で、習字の「文字」がカッコイイとか、綺麗とか思ったわけではなく、墨の色に魅入られていたのです。そして、筆をしなやかに動かせるようになりたかった。それ以上の何ものもありませんでした。しかし、その頃に出会った「ガリ版文字」の造形には虜になってしまっていました。あんな字が書けるようになりたい。そう思ったのです。母は、珠算へと導いてくれたのですが、社会は大きく変化し、ボクが就職する頃はすでに電卓が普及し始めていました。
 ずっと後、書き文字の会社に就職ができました。念願の文字を書く仕事ができると夢を膨らましていたのもつかの間、ここでも世は変化しました。デザインから手書き文字は消え、写植やフォントの時代へと移行していったのです。
 さて、そのフォントの時代にあって手書き文字は存在理由を無くしたかに思えていたのですが、そうではありませんでした。「手紙」や「はがき」が書かれる頻度が減った分、手書き文字は目立ってくれるのです。その力、影響は、目を瞠るものがあります。
 この夏、『手書きの効用』という本を出していただき、また「文字」に幸せをいただきました。「文字は神さまのくだされもの」と言うことが二重、三重に身にしみています。
(ようげん寺報 2018年10月15日発行 第13巻 第5号掲載)
イラスト
お問い合わせ