…がくれた、幸せ
先生たち
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 昨今の学校の先生は、得体が知れなくなった教育委員会の顔色を見つつ、モンスターペアレンツを相手にしなければならなくて大変なようです。そのせいか、気骨のある先生が少なくなり、個性豊かな子どもを育てるはずが、マニュアル化された不自由な授業を余儀なくされています。
 話は60年代の事です。ボクのように美大進学を目指す者は、学校とは別に美術の進学塾に通うのが順当な手段だったのですが、それは都会での話です。悲しくもボクの住む街にはそんな塾はなく、美術系大学の受験事情を知っている先生も居なかったのです。従って、部室の書棚にある、ボロボロになった数冊の『アトリエ』という教本を頼りに勉強する他はなく通常の授業枠の中で「デッサン」や「描
写」「造形」などの実技を、独学でも学ぼうとしていたのです。
 ずっと後の事、学校の後輩であったカミさんが「よっちゃんの事、大ごとになっちょったとよ。知っとった?」と言いました。進学コースを選んだボクは、授業の他に課外授業がありました。放課後をデッサンや描写、造形の練習時間に充てていたので勉強の仕方を考える必要に迫れらていました。3年生になると、ますます絵を描く時間が圧迫されるようになりました。意を決したボクは体育や数学、物理、化学など、試験科目にない授業の時は教室を抜け出して美術室に籠るようにしたのです。かみさんが話したのはその頃の事でした。カミさんは「体育の女先生がね」と前置きをし、「あんたらの先輩に、とても字が上手なもんがおる」と褒めそやした時には、「秋津さんこつ」と分かり、友達と顔をほころばせたそうです。しかし、その後、「受験勉強ちゆうて、授業をサボりよるとよ。職員会議で問題になりよっと。ひどか先輩ばい。真似したらつまらんよ」などと、誹謗中傷を並べ立てたのだそうです。今であれば「個人情報」の漏洩で始末書ですむかどうか。そんなことが起きているとも知らないボクは、度々説得に来る先生に対して、「絵を描く必要性」を訴えていたのでした。
(ようげん寺報 2017年2月15日発行 第12巻 第1号掲載)
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