…がくれた、幸せ
待つ
文・秋津良晴 絵・中山成子
 
 その日は突然やってきました。デザイン会社に勤務し始めて2年近くなっていました。ストレスと過労で胃炎になって数日休むことにしたのです。すると、もう二度と行きたくないと思うようになり、辞める事を決めてしまったのです。社長から「キミの言う通りにする」とか「昇給する」から戻ってくれという電話がありましたが、きっぱりと辞めてしまいました。蓄えもないし、すぐに生活に困るようになりました。
 人の下で働く事はできない、働きたくないなどと言うのは、家庭を持った責任ある大人の言える事ではありません。しかし、業界に入って4年ほどが経って、ようやく自分が見えてきていました。業界には嘘つきが多い。嘘つきの下では働けない。働きたくないと思ったのです。友人や知人に仕事の依頼をして回りました。
 仕事が入ってもすぐにお金になるものでは
ありません。前借りしても後が続かないので、支払日まで「凌ぐ」しかないのです。借金で何とかなったのはわずかな期間でした。打つだけの手を打って、その日が来るのを待つだけになっていました。上の娘が使っていた二段ベッドの上で本を読む毎日でした。カミさんには、ただ「仕事をしないで本を読んでいるだけ」に見えていたと思います。家賃も払えなくなった頃、揺らぎました。新聞の求人広告で「デザイナー」の文字を探すようになっていました。また、あの間違いを繰り返すだろうと言う「不安」と、明日、食べられなくなるという「怯え」の葛藤がありました。
 2年ほどが経った頃、レタリングの仕事が入りました。わずかな金額にしかならないものでしたが、それがきっかけになり、仕事が入るようになり、生活は安定しました。
 後に、「あの頃…」とカミさんに、その時「待つ」と決めていた事を、少しばかり自慢げに話しました。すると、カミさんは「あの頃ね…」「後にも先にも初めて、別れようと思った」と言いました。そして、「でも貧乏は嫌いじゃない」と言い、へらへらっと笑っていました。
(ようげん寺報 2017年10月15日発行 第12巻 第5号掲載)
イラスト
お問い合わせ