…がくれた、幸せ
憎いあいつ
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

 我が中学校では、時代を反映してか、全校集会が、度々、行われていました。1学年、56人で12クラス。3学年で約2000人の生徒が広い運動場に整列します。鳥肌が立つくらいに壮観でした。正面には肩くらいの高さの壇があり、マイクがありました。壇の左右には数十人の先生方が整列します。
 生徒会長からテーマが告げられると、あちこちから手があがり、「何年何組の後ろから何番目の人」と指名があります。指名された者は駆け足で壇上に向い、思うことを声を限りに主張します。終わると、それに対して意見のある者が手を挙げます。あまり、先輩後輩と言った関係での遠慮はなかったようです。活発な大会でした。
 三年生の春の大会での事です。テーマに対

して私のクラスメイトが、常々、不満としていた事を述べました。活発なクラスだったので、次々にクラスメイトが賛成の意見を述べたのです。意見も出尽くした感があり、全学年が我がクラスの主張に傾いていました。その時、別のクラスの三年生「O」が手を挙げ、壇に上がったのです。他愛もない反対意見で、しかも個人的感情ばかりの憎い抗弁でした。それを機に議論が再燃しましたが、お互いが言いたい事を言って、私のクラスの意見に決議されて大会は終わりました。その後、私たちと議論し合った彼は、廊下をすれ違っても目線を合わせてはくれません。そのうち私は「O」のことを憎く思うようになりました。
 高校へ入学した時、驚いた事に、「O」が同じクラスで机を並べていたのです。休み時間も机に座ったままを学習している「O」が、私の嫌う「ガリ勉」であることが分かりました。ちょうど、その頃、部活の選択時期でした。私は、ガリ勉の彼をからかう気もあり、美術部に誘ったのです。そうです。彼は「絵」でも私のライバルだったのです。嫌われている事を承知で誘ったのでした。しかし、彼は「美術部に入る」とは言ってくれません。ボクを嫌っている以上に、彼には好きな事ができない家庭の事情があったのです。
つづく

(ようげん寺報 2014年12月15日発行 第9巻 第6号掲載)
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