…がくれた、幸せ
山添先生
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

 体罰が問題になっていますね。先日、校長先生と話す機会がありました。可哀想に、戦々恐々とされていましたよ。日本の教育は大丈夫なのでしょうか?
 とこう考えていると中学に入学した頃のことを思い出しました。当時、中学校に入るとクラブ活動が始まるというので、みんな、不安ながらも期待を膨らましていました。私は、工作、美術、写真などやりたいことが沢山ありました。で、決めきれなかったこともあり、入部の機を逃してしまい、ブラブラする日が続いていました。
 ある日のことでした。担任の山添先生が「オレの部に入れ」と言うんです。で、入りました。当時は今と違って、先生の言うことは絶対でしたからね。なんと言うクラブで何を

するなんて考えもせず、ひたすら「先生がおっしゃるから」入ったのでした。その日、家に帰ると母が「決めたとね?」と、部活のことを聞きました。「エイゼンち、言うと」と言ったら、母はしばし沈黙し、言葉を探していました。そして「修繕屋やろーが」ときつい言葉がありました。そうなんです。山添先生は落ちこぼれをあつめて「営繕(修繕)部」なるものを作っていたのです。その事実を知った当初、母もですが、私は大きく落胆しました。
 話は数年遡ります。私がその字と出合ったのは小学四年生でした。虜になってしまいました。その字を真似てみますがうまくいきません。父の万年筆を借りたり、つけペンを試してみましたが、その字の風合いが出ないのです。字の正体を求めて彷徨が始まりました。中学に入っても字の謎は解けずにいましたが、字の「カタチ」は少しずつ体得していたようです。
 で、ある日のこと、山添先生が「これ、使いない」と言って八ページの小冊子をくれました。表紙を見た瞬間から私の胸の鼓動は早まり、全身の血液が逆流を始めたかのように目の前の世界が回り始めました。長年探していた、「その文字」がそこにあったのです。それは、本格的にタイポグラファーへの道が開かれた瞬間でした。

(ようげん寺報 2013年4月15日発行 第8巻第1号掲載)
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