…がくれた、幸せ
運命
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

 初恋騒ぎが落ち着いた頃、私は再び文字を書く事に夢中になっていました。放課後、新くんがクラブ活動を終えて教室に戻ってくると、そこには私がひとり残っていて、授業中に写し終えなかった黒板の文章を書き写していました。新くんは前の席の椅子を跨いで息を凝らして見ていました。そして、私が一文字を書き終えると、「一分以上かかっているよ」と、友人の快挙を誉めるように言うのでした。と言う具合ですから漢字のテストは大変です。我が校では学期に一度、全校で漢字のテストが行われました。一問一点、百問の試験でした。その成績は学年別に上位100人が廊下に掲示されます。私は追試事件以来、少しは勉強するようになっていました。し

かし、です。一画ずつ丁寧に書く習慣がつき始めた頃なので時間内に百問は解けません。と言うか、書けませんでした。七十、八十点取るのが精一杯でした。
 そんな不器用な私でしたから、短時間で記憶する方法を考えました(秘密)。そして、字を書くのが早くなり始めていたのも加わって、その時、私は九六点を取ったのです。書き出された列の前の方に自分の名前があるというのは実に気持ちのいいものでした。すると、「一番前に書き出されたい」と欲も出ます。次の試験では九八点でしたが、ついにその日がやってきました。漸く百点を取ったのです。掲示の日を浮き立つ思いで待ちました。その日、知らせてくれたのは鬼塚くんでした。「秋津、すごいぞ」と、満点だったことを知らせてくれたのです。逸る気持ちを抑えながら廊下へ向かいました。しかし、名前がありません。一番前にあるはずの名前がないのです。私の名前は相川くんに次いで二番目でした。「五十音」で掲示されていたのです。何度百点取っても、掲示されるのは二番、三番目なのです。これは「一番になれない」運命かと、ずっと引きずりました。ところが、です。二番だからいいこともあると知りました。後のことですが、「私は二番が好き」という女性が現れたのです。

(ようげん寺報 2013年12月15日発行 第8巻 第5号掲載)
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