…がくれた、幸せ
万年筆
文・秋津良晴 絵・中山成子
 

 その昔、親は子どもの成長を、なにがしかのモノを買って祝ってくれました。現在のように買いものは日常ではなかったのです。小学校の高学年でショルダーの鞄(雑嚢と言ってました)。中学で萬年筆、高校入学で時計でした。
 私が小学四年生の頃は、つけペンを使うのがもっぱらで、時折、父の萬年筆を借りるようになっていました。父はずっと使っていいと言いましたが、何としても自分の萬年筆が欲しくて、中学生になるのを指折り待っていました。小学校を卒業したら早速、街まで出かけて行き、あれこれ迷った末にセーラーの

萬年筆を買いました。中学校ではノートの清書ようにも萬年筆を使うようになっていて、寝ても覚めても萬年筆が傍らにありました。
 高校へ入学間もない頃、姉の結婚が決まりました。結婚祝いに何を贈ろうかと色々考えました。「贈り物は自分が欲しいもの、大切なものがいい」と聞き知っていたので萬年筆に決めました。当時、姉は東京に住んでいて、通信手段はもっぱら手紙なので、萬年筆は必需品だったのです。しかし、高校入学と同時に美術部に入り、油絵の道具を揃えたりでお金がありません。考えた挙げ句、三年間、大切に使い込んだ「セーラーの萬年筆」を贈り物にしたのです。もらった姉も私が大切にしていたのを知っています。「使い古し」とは言いませんでした。
 「貰ってもいいの?」と気遣ってくれました。姉の結婚祝いを贈るという一大事を済ませた私は満足でしたが、一方でいつもそばにあったものが無いという手持ち無沙汰も襲っていて落ち着かない日々でした。
 一週間が過ぎ、姉が新婚旅行から帰ってきました。家族が居間に集まりました。姉が「じゃあ、おみやげね」と言って私に小さな箱を差し出しました。中には万年筆が入っていました。それもペリカン製の。インクの色は、ブルーブラックが全盛の中、ライトブルーでした。風変わりなインクの色が未来を暗示していたことを、その時の私は気付いていませんでした。

(ようげん寺報 2014年2月15日発行 第9巻 第1号掲載)
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