いつか会える日

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童子・童女の声

 法華経講話の第十九章『法師功徳品』の冒頭に、「この法華経を信じ、読み、人のために解説し、または書写したとしましょう。その人は、まさに八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得るでありましょう。その功徳で、すべての感覚器官の働きが美しく、清らかなものになるでしょう」とあります。
 つづけてお経では、それぞれの知覚器官が清らかになることで、どれほどのことを知ることができるのかについて、こと細かに説いていくのですが、お経を読んでいるとその内容とは別に、文字を目で追っていくだけでわくわくする個所や、声に出すと心地よいリズムが生まれる個所があって、ここでも耳の功徳のところなどでは、象の吼える声、馬のいななき、牛の鳴き声……法螺貝の音、鈴の音、笑う声、語る声、男の声、女の声……と、たたみかけるようにさまざまな声や音が列記されていき、読んでいると独特のリズムが生まれてきます。そして、そのリズムの中、「童子・童女の声」の文字が目に入ってくると、いつもふっと心が明るくなります。
 子供の声には不思議な力があるようです。この寺の境内には毎日多くの人が訪れて来ます。また通り抜けができることもあって思い思いに歩いてゆきますから、まるで公園の管理事務所に住んでいるようだと思うこともありますが、そうした中で時折り元気な子供たちの声が聞こえてくると、なぜかうれしい気持になりますし、夏に行われた「子供フェスティバル」や「一泊子ども会」に集まった子供たちの歓声が境内いっぱいに響きわたる時など、遠くでそれを聞いているだけで幸せな気分になってしまうからです。
 法華経を信仰すると感覚器官が清らかになると説かれていますが、私はいつも、あの子供たちの明るい歓声によって、この寺も、寺に住む私たちも元気づけられているように思うのです。

(ようげん寺報 2017年10月15日発行 第12巻 第5号掲載)
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