いつか会える日

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右でも左でもなく

 ——私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明します——
 これは真宗大谷派が今年の五月に発表した教団としての声明(一部)です。
 他の教団もそれぞれに対応しているようですが、現在私の知る限りでは、これほど明確な声明は他に見当りません。このことは1990年に、同宗が仏教界ではじめて、戦争責任を認め謝罪したことと無縁ではありません。責任をはっきりと認め、公けにしたからこそ出すことができた、立派な表明だと思うのです。
 先代がこの寺の住職になったのは昭和二十年、終戦の年の秋でした。当時わずか数十軒であった檀家さんの中にも戦死者が十数名おられます。過去帳や墓石に記された戦死者の戒名にはたいがい「忠」や「勇」、「勲」「栄誉」といった文字が入っているので、すぐにわかります。
 あれから七十年。それらの文字が再び息を吹きかえしてきそうな気配が一日一日濃厚になってきています。
 国の体制に従わず苦難の道を歩まれた幾人かの祖師方の中で、その筆頭が日蓮聖人であったことはご存知の通りです。よく日蓮聖人を評して戦闘的な人物のように言う人がいますが、それは間違いで、体制に追従せず、たび重なる弾圧に屈しなかっただけなのです。その日蓮聖人が標榜された「立正安国」とは、仏さまの正しい教えによって世界の平和を実現しようというものです。
 仏さまが、仏さまの教えを学ぼうとする人々に課した第一の戒めは「殺すな」ということです。この寺の住職としては、右でも左でもなく、ただその一点に立って、戦争に突き進んでいくことが大いに危ぶまれる国政のあり方には、反対を唱えなければならないのです。

(ようげん寺報 2015年8月15日発行 第10巻 第4号掲載)
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