No.04

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

二の日と縁日

 毎月二日・十二日・二十二日の「二」の付く日には、池上の商店街には幟が立つ。少し前までは商店街のあちこちで見られたが、池上本門寺通り商店街の「花見煎餅吾妻屋」さんの「本日特売日」、池上駅前通り商店街の「おもちゃのオーツカ」さんの「2の日 本日感謝デー」ぐらいになってしまった。さみしい限りである。
 もちろん、この「二の日」は池上本門寺のお会式の十月十二日の「二」に発する。実は、「二の日」は昔は縁日だった。記憶がやや曖昧になっているが、昭和二十年代には「二の日」になると、本門寺通り商店街には露店が並んだ。
 縁日には、季節によって違ってくるが、水ヨーヨー、金魚すくい、鼈甲飴、しんこ細工、竹鉄砲、骨董品、爆弾あられ…等々の露店が立った。鼈甲飴は熱して溶かしたザラメを銅板の上で鳥や動物の形を作る飴で、子どもたちは十円で羽子板状のひじょうに小さな飴を受け取り、マチ針で羽子板を切り出すことができれば好きな形の大きな鼈甲飴を、ダメだと小さな定形(亀形)をもらう。しんこ細工は米の粉を蒸して餅状にしたものや、水飴系のものを使い、色とりどりの食紅で彩色し、今風にいえばフィギュアを作ったもの。オーソドックスなものでは鳩があり、鳩笛と同じく鳴らすこともできた。もちろん、食べることもできる。
 どこから仕入れてくるのか、学習雑誌や漫画雑誌の付録だけを売る露店も出た。本誌よりも付録のほうが魅力的なときはありがたかった。工作の技術が問われるが当時の子どもたちの心をゆすぶった。
 ちょっと怪しげな商品を香具師が話術で売る一種の大道芸もあった。時々、バナナの叩き売りなどもあったと思う。
 盛んな頃は花見煎餅の前あたりから仏壇屋の雲山堂あたりまで多い時には十数軒が出た。万灯のない小型版のお会式といった感じだった。露店は午後三時ごろから出始めたが、基本は夜店で、カーバイトが水と反応して発生するガスを利用したアセチレンランプが主流だった。焼け跡闇市の雰囲気も漂う、その何とも言えない、あの特有の臭いが懐かしい。
 月に三度、二の日に行われた時もあったが、天候やその他の理由で行われない月もあった。露店の数にも増減があったが、やがて露店が出ない状態が続き、いつの間にか「縁日」は消滅してしまった。「二の日」はその縁日の代わりに登場した。しかし、その「二の日」も風前の灯だ。地域活性のため、毎月は無理でも、季節ごとに、たとえば十二日あたりに縁日を復活することができないものであろうか。

(ようげん寺報 2013年10月15日発行 第4号掲載)
この通りに縁日の賑わいが戻らないかなら
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