No.16

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

池上の自然と環境と不思議な少年

 日蓮宗宗務院から池上会館にかけての本門寺側の崖は昭和20年代中ごろまでは池上小学校側に張り出していた。崖からは清水が湧き出していて、そこにはサワガニが棲んでいた。昔の民家は床が高かったが、我家は大森高校の近くだが、朝起きると、蟹が床下の土台を伝わって廊下へ上がりザワザワと歩いていることもあった。
 大坊本行寺の境内には「南無水神」と彫られた小さな石柱を祀る御硯井霊水があるが、そこの崖も少し前までは清水がコンコンと湧き出していた。そこにはタニシも生息していたが、同種の田螺は昭和33年9月27日の狩野川台風が襲う以前は 池上周辺の、既に汚れ始めていたドブ川の側溝にもへばり付いていた。蛍の幼虫は清流にしか棲めないと言う人もいるが、捕食対象の田螺がいれば大丈夫だ。少なくとも昭和30年代の初めまで池上でも蛍が飛んでいた。
 本門寺の境内に入ると、しばしば蛇の抜け殻が転がっていた。小学生の頃、クラスの違う名前も忘れてしまった友達が「蒲田の蛇屋へ一緒に行かないか」と誘ってくれた。彼は蛇を魚籠のような容れ物に入れていた。現在の蒲田西口商店街の中程の今ならペットショップと呼ぶのだろう蛇屋へ持ち込むと、その蛇はマムシだったらしく、当時、失業対策事業の日給からニコヨン(二五四円)と呼ばれたのと同じぐらいの金額が支払われたのにはビックリした。
 実は、堤方町の現在の池上4丁目にも、こちらは野鳥が専門のところがあり、彼はミミズクだったかフクロウを持ち込んでいる。さらに、現在、大きな日蓮聖人像が置かれている場所から宗務院寄りの崖の部分を掘り、白っぽい大きなネズミ(いわゆる大黒ネズミ)も捕まえている。まるでサンカ(山窩)のような不思議な少年だった。
 先日、池上4丁目19の呑川の辺で、体長60センチぐらいの蛇を見かけた。シマヘビだった。たまたま自転車で通り掛かった私と同年齢ぐらいの老人というかオヤジが「これって、毒もないので、簡単に引き裂くことができるよ。喰うと美味いよ」と言ったのには驚いた。
 思えば、昆虫少年だった私にとって、本門寺の周辺は採集の宝庫だった。サイカチ(オオクワガタ)や、大型のカミキリムシのミヤマカミキリ、そして七色に変化する玉虫とか、実に多種類の昆虫がいた。また、秋になると、竹を切って竹鉄砲を作った。運動会の頃には、本門寺周辺の崖にはカラスウリの真っ赤な実が熟したが、それを割ってふくらはぎに塗り込むと、脚が速くなるとか、疲れないとか言って、採りに出掛けた。もちろん、塗っても効果はなかった。

(ようげん寺報 2015年10月15日発行 第10巻 第5号掲載)
大坊本行寺 石柱の後の崖に清水が湧いていた
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