No.23

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

押し入れのある幼稚園

 池上地区には現在、幼稚園が3ヵ所、認可保育所が区立2ヵ所、私立7ヵ所、そして私立の認証保育所が4ヵ所ある。幼稚園は全て私立で、めぐみ幼稚園(池上1)、藤美幼稚園(中央8)、徳持幼稚園(池上4)である。区内には区立幼稚園もあったが、平成21年3月までに全て廃園になっている。
 めぐみ幼稚園は同園のHPによれば、昭和2年に幼児の神性に注目した幼稚園教育の祖フリードリヒ・W・A・フレーベル(1782~1852)の研究家として知られる岩村清四郎(1889~1978)牧師によって、大森めぐみ教会の付属として設置された。
 だが、昭和7年9月刊行の『池上町史』によれば、池上で一番古い幼稚園は、荏原郡池上町大字市野倉48(現・中央6-12辺)にあった大正15年4月創立の私立池上幼稚園である。ちなみに、同町史には、現在の上池台にあった小池幼稚園(昭和6年4月創立)と、久が原にあった双葉幼稚園(同6年9月創立)が記載されているが、これらも現在は消滅している。
 実は、私は昭和26年3月卒園の池上幼稚園のOBである。この池上幼稚園に入園するとき、近所の子どもから「あそこは押し入れがあるからやめた方がいいよ」と忠告されていた。今なら虐待視されるかもしれないが、躾のため押し入れに押し込むことがあった。その最初の犠牲者がおとなしいOY君で、入園2か月ぐらいで登園しなくなり、気が付いたときには退園してしまった。
 池上幼稚園には梅の木が何本もあり、梅の実を拾い、紫蘇の葉をむしって梅干作りもした。園庭でウサギも飼っていたが、あるとき「ウサギが赤ちゃんを産むので、うるさくしていると、生まれたばかりの赤ちゃん莵がお母さん莵に食べられてしまいますよ」と言われて、ショックを受けたことがある。私は何をやっても遅れを取り、おまけに知能テストも下から2番目のブービー賞だった。しかし、副園長のヒロコ先生がバレーダンサーだったこともあって、スキップだけは得意だった。
 大森4中に入学したとき僕は全く覚えていなかったのに「菅田君」と呼び掛けられ、そのせいで彼女が学級委員、私が副学級委員のコンビを組むことになったKN嬢ら数名が園長先生に呼ばれて、幼稚園の回顧談をしたことがあった。
 池上幼稚園とは競合関係にあった藤美幼稚園や、めぐみ幼稚園のスクールバスが元気よく走っているのを眺めたり、めぐみ・藤美・徳持の園児が親子2~3代という話を聞くと、栄枯盛衰を感じてしまう。

(ようげん寺報 2016年12月15日発行 第11巻 第6号掲載)
写真
ヒロコ先生(中央)自らスクールバスを運転した
お問い合わせ