No.34

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

子安八幡神社と
日蓮聖人との関係

 仲池上1-14-22に鎮座する子安八幡神社は、旧・荏原郡池上町の神社の中では最も社格が高かった。といっても、一番下の無格社の一つ上の村社である。本当なら「郷社」あたりに指定されるべきだったが、恐らく本門寺との関係が深すぎたと思われたのであろうか。それというのも、同社の前身は、本門寺境内の鎮守堂に祀られていた正八幡宮(八幡社)だったからである。『新編武蔵風土記稿』荏原郡池上村(馬込領)の「本門寺」の項を見ると、「鎮守堂跡」として、次のように紹介されている。
「本堂影堂の背後にあるという。神体は正八幡宮で、勧請の由来は康元元年(一二五六)六月十四日、鶴岡八幡宮の神殿が霊動し、このとき池上の山中にある幣帛が毎夜光を放った。時に池上宗仲が密かに鶴岡の影向〔神仏が現れること〕であることを知って小殿を作り、そこに幣帛を納めた。その後、弘安五年(一二八二)九月二十八日、日蓮が開眼したと寺伝にはいわれている。そうこうするうちに、天正九年(一五八一)、根方村の綱嶋右近祐清という人が願い出てその地に移した。」
 すなわち、子安八幡神社の前身の本門寺境内鎮守堂の八幡神は、鶴岡八幡宮の分霊を人為的に遷座したものではなく、鶴岡八幡宮の御神霊そのものが遷ってきた、という構造になっている。これは鶴岡にとっては面白くない。現・仲池上の根方の岡の上に移転しなければならなかったのも、そんなところに要因があったと思われる。
 ところで、現社号の「子安」も日蓮聖人と池上宗仲の関係からきている。宗仲の室が懐胎のとき疫病に掛かり、その平癒を祈願したところ、無事に男子を出産したことに因む。ちなみに、堤方神社、旧社号・若宮八幡社も、日蓮聖人との関係から見ると、その本質が垣間見えてくる。池上宗仲・宗長の兄弟の父・右衛門太夫康光は、日蓮聖人の宿敵・極楽寺忍性の信徒であったことから、親子は反目し宗仲は勘当されていた。日蓮聖人は兄弟が励まし合いながら信仰を守り抜いたことを讃える手紙(兄弟抄)を書いた。その手紙の中で、応神天皇(八幡神)の嫡子の仁徳天皇(大鷦鷯命)と、天皇の次男で太子(ひつぎのみこ=皇太子)に指定されていた宇治王子(莵道稚郎子)の逸話を踏まえて、池上兄弟を指導した。すなわち、応神天皇を祭る八幡社(宮)に対しての、応神天皇の皇子を祭る《若宮》八幡である。堤方神社もそうだが、大概の若宮八幡は大鷦鷯命(仁徳天皇)を祀っているが、日蓮聖人は「兄弟抄」の中では宇治王子を高く評価している。個人的な見解だが、堤方神社では莵道稚郎子命も祀ってもらいたいものだ。

(ようげん寺報 2018年10月15日発行 第13巻 第5掲載)
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林昌寺と隣接する子安八幡神社
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