No.05

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

池上はだんだん不便になる

 池上は交通至便な地である。不動産会社の広告を見れば、おそらく、そう書いてあるはずだ。実際、池上本門寺を中心とした環境と交通の便利さは不動産業者の売りの一つである。しかし、池上に長らく住んでいると、だんだん不便になっているのではないかと、ついつい思ってしまう。
 それというのも、昭和23年から52年まで、池上駅と東京駅八重洲口との間には、一日に10本以上のバスが通じていた。東急バスだけではなく都バスとの相互乗り入れである。長いトレーラーバスも走っていた。
 さらに、渋谷駅から都立大学、奥沢駅、雪が谷大塚、下丸子、池上駅などを経由して大森操車場まで東急バスが走っていた。羽田空港行きや田園調布行きなどもあった。池上を通らなかったが蒲田⇔日吉、新宿⇔大森などもあった。また、本数は少なかったが、大森⇔大田区民会館もあった。
 実に、バラエティーに富んでいたのである。ところが、どうだろう。東急バスは池上を走っているが、都バスは池上はおろか大田区内を走っていない。あたかも東京都23区ではないかのように…。
 もちろん、同じ東京都交通局では都営地下鉄のほうは西馬込まで来ている。私は昭和32年池上小学校、同35年大森四中の卒業だが、当時、大田区長の代田朝義氏は卒業式には来賓で見え、「間もなく池上まで地下鉄が来ます」と挨拶された。当然、私たちはその池上を池上駅と考えていたし、現在の池上梅園近くに住んでいた小学校の同級生は、そのために立ち退いている。地下鉄は池上駅まで来て、東急蒲田駅へ向い、さらに京急蒲田駅へ延びて京急穴守線(現・羽田空港線)につながる、と思われていた。
 たしかに、都営地下鉄浅草線は池上まで来ている。高架橋の橋げたは池上2ー6まで来ている。通称「第二京浜」すなわち国道1号線の「マクドナルド1号線池上店」(池上2ー6ー12)の北隣まで通じている。せめて池上梅園、あるいは、本門寺裏の南馬込に駅があったら、どんなに便利かと思う。昭和20年代後半から30年代前半に池上で子どもだった年代は、都や区から騙されたというトラウマを持っている。
 本門寺境内を通り抜け、都営地下鉄馬込車両検修場の上に架かる陸橋「どどめき橋」を渡って西馬込駅へ向かうとき、私は池上はだんだん不便になっている、と思ってしまう。ちなみに、「どどめき」は道々橋村の飛地の字名「道々女木」から来ている。心ときめく地名だが、等々力や、「となりのトトロ」の土々呂とは同源らしい。なお、馬込操車場を造る直前、その周辺からは縄文・弥生の土器がたくさん拾えたのが懐かしい。

(ようげん寺報 2013年12月15日発行 第8巻 第5号掲載)
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