No.17

菅田正明-民族宗教史家

ようげん寺報バックナンバー

池上映画劇場と蒲田映画街

 かつて池上にも映画館があった。所在地は池上徳持町72番地の1、東京電力品川支社大田営業センター前の、現在は銀座椿屋珈琲池上店(池上6-5-10)がある場所だ。結構長い間営業していたと思っていたが、記憶というのは曖昧なもの。インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』で検索すると、1955年(昭和30年)開館、1965年(昭和44年)閉館とあった。たった10年間の営業だったわけだが、建物自体はその後も残っていた。
 記憶違いといえば、私は東電ではなく、関東配電大田営業所の前と思い込んでいた。しかし、関東配電が東京電力になったのは昭和26年だから、映画館ができたときは既に東電だった。戦後の労働運動が活発な時期で、土建会社の従業員がガードマンをやっていて、時に電力労組員と小競り合いとなったが、それが落ち着いた頃、オープンしたのであろう。当初は東映系として出発したが、やがて東宝・大映から配給されたらしい。どの程度観たのか憶えていないが、新聞販売店や商店街から無料招待券をもらうことが多かった。懐かしく思うのは超満員の中で、松山善三監督・脚本、高峰秀子・小林桂樹主演の『名もなく貧しく美しく』(1961年、東宝配給)を観たことだ。
 実は、池上には、もう一ヵ所、映画館があった。池上駅前通りの現・池上7-1-11のライオンズマンションの所にあった池上東映である。しかし、残念ながら、こちらには観に行ったことがなく、多くの人は映画館があったことすらも忘れている。
 ところで、映画といえば、蒲田は映画の街であった。戦前には現在の蒲田5丁目のニッセイ・アロマ・スクエアの所に松竹蒲田撮影所があった。戦後の蒲田駅東口には松竹・東宝・大映・東映・日活などの邦画封切館や、西部劇や洋画の封切館など、多くの映画館が点在していた。これらは川崎駅周辺でも映画館を展開した美須興行の運営で、川崎蒲田映画街とか美須映画タウンとも呼ばれ、ラジオ・テレビのCMでも盛んに宣伝されていた。美須興行系だけでも6館、その他を含めると蒲田駅並びに京急蒲田駅の周辺には10館を軽く超えていたと思う。否、20館もあったという。しかし、今では西蒲田7丁目の東京蒲田文化会館内に蒲田宝塚、テアトロ蒲田を残すのみ。
 蓮沼駅の西側にも南北に1館ずつ、いわゆる三流館があったと思う。そのうち、旧小林町の映画館はピンク系、社会派、時代物、何でもござれの館だったが、私は勝新の座頭市シリーズなど、のちに名作視された作品を結構見た。入場料が超安価だったこと、それに同館のものだったが自信がないが、ビラ下を拾う機会が多かったからである。ビラ下というのは、ビラが貼られた電柱などの下に無造作に置かれた無料招待券のことである。池上映画劇場を思いだすと、それらがごっちゃになって回想される。

(ようげん寺報 2015年12月15日発行 第10巻 第6号掲載)
映画の全盛期には池上にも2軒の映画館があった。
お問い合わせ